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2012年8月22日水曜日

反核の芸術家のデザインした焼却場で核のゴミが燃やされる

2012/10/11 追記:転載いただきました http://ameblo.jp/ryuujin55/entry-11374485205.html ありがとうございます。

フリーデンスライヒ・フンデルトヴァッサー というオーストリアの鬼才がいた。
芸術家・画家であり、建築家でもある。

アニメ監督である宮崎駿氏が、フンデルトヴァッサーの作品や建築物にいたく感銘を受けたというエピソードは多くの人の知るところだ。そして、僕の住む地域とほど近い大阪市のいくつかの建築がこのフンデルトバッサー氏の「作品」である。

キッズプラザ大阪(関西テレビ敷地内)
キッズプラザ大阪、そして舞洲にある廃棄物処理施設、大阪市環境局舞洲工場大阪市舞洲スラッジセンターがいずれも彼のデザインによるものだ。








大阪市環境局舞洲工場
阪神高速湾岸線を走ると、大阪湾に建つこの処理工場が見える。僕も家族とともに大阪に出かけるとき、いつも車からこの建物を見ていた。

ここで放射性物質を含む可能性の高い災害廃棄物(瓦礫)が広域処理により燃やされる可能性がある。






しかし、彼が反核を訴えた人であることを知る人はどれくらいいるだろうか。
ポスター「樹を植えよ 核の危機を回避せよ」(1980)
このポスターは1980年、アメリカでの反核プロジェクトのために寄付され、その後数年の間、様々な反核キャンペーンに使用され、それぞれの市民団体が販売することにより活動原資を獲得するために使われたものだ。

そして今、このフンデルトヴァッサー氏がデザインした大阪市の舞洲工場で震災瓦礫が燃やされるかもしれない。

このポスターに添えられた同氏のスピーチを以下に引用する。そして彼の理念の一つを具現化した処理工場で、放射性物質放出拡散のリスクが懸念される震災瓦礫の焼却を行うことが何を意味するのか考えていただきたい。以下は桂木忍さんによる翻訳文(色など装飾は当方によります。原文はこちらです。)。

人間は、幸せであるために表面的な豊かさは必要ありません。必要なのは、内面的な精神の豊かさです。人間は、幸せであるために機械的なエネルギーは必要ありません。必要なのは、創造的なエネルギーです。今日の人類は、これまで地球に存在していた中で最も危険な害虫です。人間は、生態系からかけ離れた害虫となってしまいました。(...)
私たちはエネルギー危機に見舞われているわけではありません。あるのはただ、意味のないエネルギーの浪費だけです。(...)人類は、とりわけ所謂専門家たちは、エネルギー推進をもはやコントロールできなくなってしまいました。彼らは、自分たちが一体何をしているのかが分らなくなってしまったのです。原子力ゲームは危険なゲームです。死をともなう軽率なゲームです。どこかで想定を超える事故が起きることは確実なのです。ガラスやセメントやその他の覆いでできた核のゴミの密閉容器から放射能が漏れだすことは確実なのです。ロシアン・ルーレットのようなものです。それは、私たちが思いもよらぬ瞬間に起こるのです。
核のゴミを安全に隠したり保管したりする場所はありません。見た目では当面地震が起こらないとされる場所でさえ安全とは言えません。戦争や爆弾、ブルドーザー、地震や断層のずれが全てを無に帰するのです。この地球と宇宙に静止状態のものなどありません。すべてが流れているのです。インカ帝国やカルタゴ王国の遺物がどこに埋められているか知っていますか?それは、たった2000年前のことなのです。祖母が金貨をどこに隠したか知っていますか?それはたった50年のことなのです。核のゴミは、50万年もの間、すべての生命を死の危険にさらし続けるのです。核のゴミを密閉した最初のコンテナは、20年前に海底や地中に埋められたばかりだというのに、すでに浸食され、放射性物質をまき散らしています。そして、私たちはこのコンテナがどこに隠されたのか分らなくなってしまっています。核のゴミは、美しい遺体のように埋めてはなりません。(...)
政治家や学者が、短期的な利益やキャリアを考えて、私たちに核エネルギーは永遠に無害だと保証するとすれば、それは犯罪的な嘘です。(...)中央でエネルギーを統括すれば、人間にとって必要以上の自動化が進みます。結果は失業です。核エネルギーは経済の破滅です。わずか1パーセントのエネルギーが、自然と人類の破滅との危険なバランスの上に成り立っています。そしてそのような危険なバランスを保とうとすることが、失業や、常に死の危険と隣り合わせの生活、迫りくる汚染や人権の損失、ふるさとの喪失よりも比重が重いというのでしょうか。
核エネルギーは、見せかけのエネルギー危機に見せかけの解決を短期的に見出すだけです。時間が経つにつれて、(...)前には見えなかった新しい問題が、ますます高いコスト、ますます危険な代償を要求することに気づくことになるでしょう。その範囲を認定するには、私たちの経験則はいまだ小さすぎるのです。技術者や学者、専門家が私たちを、自分たちでも解決できないような予測不可能な危機へと導くならば、それは見逃してはならないことです。
(...)一本の木を倒すのに、5分とかかりません。しかし、一本の木が生長するのには50年かかります。(...)自然の法則に関する知識を伴った創造的な精神のみが、私たちが辿ってきた状況を生態的に克服することができるのです。工業的な発展の考えでは、とうてい無理です。いわゆる発展は、破滅への歩みとなってしまったからです。生き延びるためには、手を引くしかないのです

原子力という人間の手に余るものを今後どうして行かねばならないのか。もう30年以上も過去の時代。スリーマイル島で起きた事故に、深刻な未来への懸念を抱いた人たちに対して、我々はいかにこれから生きるべきなのかを問いかけ、彼の洞察から生まれた未来への指針を示したのがこのポスターであり彼のスピーチだっただろう。

その後チェルノブイリ、福島と大きな事故、そして数多くの小規模な原子力施設事故を経て、我々はどれだけ賢明になれただろうか。ますますこうしたテクノロジーの問題は大きくなり、それに立ち向かうべき私たちの力は及ばないほどになってきてはいないか。

大阪という多くの人たちが住まう地域で、こうした人間の過ちに対する深い洞察を持った芸術家のデザインした、その施設で、原子力災害の影響を受けた瓦礫を焼却することがいったいいかなる意味を持つのか。

 更にもうひとつ、ここで述べておきたいことがある。
それは大阪市市長、橋下徹氏の、文化芸術に対する姿勢である。

かれはオーケストラの財源を切り捨て、国の宝の総合芸術「文楽」を見下した。
今度は宮崎駿がインスパイアされたフンデルトバッサーの作品である舞洲焼却場から放射性物質を世界中にばらまくという。

そのような事をすすめる一方で、彼は大阪府知事時代に「都市魅力」というコンセプトを打ち出していたのだ。では、彼の言う「魅力」とはなんなのか。そこに、人間性を高らかにうたう文化や芸術の香りは感じられない。大阪という分厚い歴史のある文化都市に、中身のない空疎な施策を展開しようとしている。

僕は大阪市の、橋下市長の、こうした倒錯した施策に異議を唱えたい。

大阪で瓦礫を燃やしてはならない、大阪を滅ぼしてはならない。


3 件のコメント:

Pizayo さんのコメント...

記事のご紹介ありがとうございます。
当方のブログにてこちらのブログ内容の紹介、転載をさせていただいてもよろしいでしょうか?何卒よろしくお願い致します。

gmax さんのコメント...

Pizayoさん

ありがとうございます。リンクや転載はこの記事についてはご自由にやっていただいて構いません。

よろしくお願いいたします。

Pizayo さんのコメント...

お返事ありがとうございます!!
近日中に転載させていただきたいと思います。
ありがとうございました。